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宇野千代の人生と文学
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■ 米寿の祝い
昭和60年11月30日、帝国ホテルで千代の米寿を祝う会が催された。会は『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』などの映画監督龍村仁が演出し、総合司会を大平透、司会山本陽子で進められた。誰からも愛された千代の祝いには、文壇、出版界、芸能界などから500人を超す華やかな顔ぶれが揃った。千代は岩国からの有志の参会を心から喜び、自ら紹介した。
獅子舞をバックに瀬戸内寂聴に手を引かれて登場した千代は、『生きて行く私』の舞台でかつての夫を演じた西岡徳馬、中山仁、大出俊にエスコートされての三度の「お色直し」に自らデザインした大振袖を披露した。作家の廣津和郎は、千代を親愛の念をこめて「初荷の馬」と渾名したが、千代はそれに応えるように、華やかに、艶やかに、色っぽく、天真爛漫な姿を見せた。千代はそのことで、溢れる感謝の念を満場の来会者に示したのであり、彼女の「旺盛なサービス精神」の発露でもあったのだろう。千代は言う。
私があの会場で、ありもしない知恵を絞つて、きらびやかな着物を着たり、髪に花簪をさしたりしたのは、多くの人々の眼を欺くためではなく、もし、それらの人人の期待に、返礼することが出来たら、とさう思つたからである(『しあはせな話』 昭62・5 中央公論社)。
会ではユーモラスな場面があった。千代の「大失敗」である。
紙に書いて来たものを持つて来たりしたのに、大ぜいの聴衆を前にして、すつかり上つて了つた私は、この会の最後に読むために用意して来たものを、一ばん先に読んで了ふやうな大失敗をして了つたのであつた・・・最後の場面に来たとき・・・あとさきの言葉を間違へて了つたと言ふことを白状して、もう一ぺん、前に読んだ同じことを読みますから、お笑ひ下さい、と断つた上で、その同じことを読むと、人の失敗くらゐ面白いものはないと見えて、会場一面に、大爆笑が起つた。私のこの失敗は観客を大いに喜ばせて、失敗ではなく反対に、大成功を博したのであつた(同前)。
最後の挨拶は──皆さん、今度は卒寿の会ですよ。その次は白寿ですよ。それまで体を大切にして、元気でいて下さいね。またきっとその時来て下さいね──であった。「私何だか死なないような気がするんですよ」と言う千代の面目躍如の言葉である。
昭和62年2月、東京会館で千代「卒寿を祝う会」が催されたが、白寿(99歳)の祝いは僅かに叶わなかった。
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