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宇野千代の人生と文学
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■ 『生きて行く私』
昭和57年2月14日から同年10月31日まで、毎日新聞「日曜くらぶ」に三井永一の挿画で連載された『生きて行く私』は、翌58年8月に上下二巻が毎日新聞社から刊行されミリオン・セラーとなった。
岩国では59年6月9日、国際ソロプチミスト岩国が創立5周年を記念して千代を講師に迎え、文化講演会「生きて行く私」を市民会館大ホールで開催した。──講演料は無料、 宿泊準備不要、 送迎必要なし──との千代の意向で入場無料とされ、整理券を発行したのだが、それを求める電話は鳴り続けだった。当日、会館前は人で埋まり市民会館開館以来の大盛況となり、会場の大ホールから溢れた聴衆は別の小ホールでのテレビ視聴となった。
舞台装置は、金屏風の前に千代デザインの着物を飾り、周りを千代の好きな紫の花、季節の菖蒲がいっぱいに囲んだ。講演終了時に、川下小学校教員時代の教え子十数名が紫の花束を手にステージに登壇し、久々の対面で場の雰囲気が盛り上がった。
講演の最後の「故郷に対する私の感慨」で千代は、──岩国の皆様、私の今までして来たおかしなことを許してください──と万感胸に迫った風情で口にした。会場は一瞬静まったあと、すぐ万雷の拍手が沸いた。──許してください。また、岩国へ帰って来ます。錦帯橋も桜も日本一です。私は日本一の故郷を持った日本一の幸福な者です──と締め括った千代は、会場を揺るがす拍手に送られて退場した。(参考/『国際ソロプチミスト岩国・会報第5号/5周年記念特集』)。
この年の11月3日から30日まで、帝国劇場で「生きて行く私」が小幡欣治脚本・演出により次の配役で上演された。山本陽子(宇野千代)、西岡徳馬(尾崎士郎)、中山仁(東郷青児)、大出俊(北原武夫)、南田洋子(平林たい子)、市毛良枝(妹・勝子)、安奈淳(西條盈子)、若原瞳(藤江淳子)。昭和59年度文化庁芸術祭参加作品である。
千代は中公文庫『生きて行く私』(平4・一中央公論社)の「あとがき」で生きる「決意」を──私は現在満94歳の秋を迎えた。そして、宇野千代の「生きて行く私」はまだまだこれからも続いて行くことになるのである。平成3年10月25日 宇野千代──と示した。
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