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宇野千代の人生と文学
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■ 宇野千代後援会の発足
満80歳の誕生日(11月28日)を目前にした昭和52年11月19日、その祝いを兼ねた宇野千代後援会の発会式が、錦帯橋を眼下に望む岩国国際観光ホテルで開催された。後援会は「宇野千代先生の文学活動における実績をたたえ、郷土の文豪として将来にわたり広く文学愛好者の協力を求め、その功績を顕彰することを目的」としたものであった。その事業として一、宇野千代全集の購入あっせん。 二、宇野千代文学に関する研究会、読書会の開催。三、その他、宇野千代先生に関すること(たとえば文学碑の建設等への助力等)を掲げた。千代は席上、大要次のように挨拶した。
62年前、私はこの田舎から都会へ出てまいりました。それは志を立てて郷関を出づと言うのとは全く反対なんです。私はこの町から逃げ出して行ったんです・・・月日が経ちました。都会へ出たのちの私も、やっぱり人には褒められないような行いが多かったと思います。それは私自身でも認めております。それでもやはり、田舎が恋しくなって、帰りたいと思うことが度々ありました・・・家を直したりしますと、前のことは忘れて、一年に五遍も六遍も帰って来るようになりました。そうしていますうちに、あの、故郷の人には容れられないと思い込んでいたのは私の間違いで、私の一人相撲で、自分一人が故郷の人々を拒否していたのだと分かりました・・・私を二歳のときから育ててくれた継母のリュウに対して、私はこう言ってやりたいのです。「お母(かか)、よう見ておみい。今日も私の会をやって下さるという方が、こんなに大勢集まって、私のためにいろいろ考えてくだすっているんです」こう言ってやりたいのです。皆さん、ありがとうございます。
このとき、宇野千代の胸には、故郷岩国の人々に温かく迎えられ、改めて「認知」されたという思いがいっぱいに広がったのであろう。それぞれの「こだわり」は氷解したのである。宇野千代後援会の初代会長には伊藤正一、事務局長には森本正人が就任した。平成元年、伊藤の死去に伴い中川恵明が会長に就任した。
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