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宇野千代の人生と文学

■ 『チェリーが死んだ』

 『チェリーが死んだ』は「文學界」の昭和51年9月号に掲載され、52年3月に中央公論社から刊行された『水西書院の娘』に『よよと泣かない』『神さまはゐるか』とともに併録された。『八重山の雪』(昭50・10 文藝春秋)の後編ともいうべき作品であり、その中で英国兵と純愛の日々をつつましく過ごしていた「はる子」は、この作品では娼婦チェリーとして登場する。

 あるとき、チェリーのところへ、一通の手紙が来た。「僕はもう、二度とあなたのところへは帰れなくなりました」・・・手紙は英本国から来たものであった。所書はどこにも書いてなかった。チェリーは呆然としていた。長い間、辛抱して待っていた辛抱の緒がきれた、と言う気がした。子供を家族の手に残して、チェリーは松江の町へ出た。あの頃と同じように、松江の町には、英国の兵隊が歩いていた・・・それから後のチェリーは、男のあとを追って、九州の佐世保へ行った。それから沖縄へ行ったり、呉へ行ったり、北海道の千歳へ行ったり、青森県の三沢へ行ったりして、朝鮮戦争のあった頃には、私の田舎の町にある基地に、流れついたのであった。──(『チェリーが死んだ』)。

 千代は昭和49年11月、小説『八重山の雪』の取材のために松江を訪れ、八重山にも登った。また、50年6月には岩国の基地周辺を訪ね、「チェリー」に取材している。──『チェリーが死んだ』は、私の故郷、岩国の基地で、米兵に殺された或る娼婦の話である。彼女は50歳を過ぎていた。基地から基地へ渡り歩いていたそう言う女が、童女のような眼をしていた、と言う話を、人は信じない──(『宇野千代全集・第八巻』あとがき)。




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