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宇野千代の人生と文学

■ 生家の修復と叙勲

 昭和49年3月、岩国・川西の生家の修復が完成した。継母のリュウが昭和26年1月14日に死去する直前まで、──川西の往還を通ると、うちの家が一番ひどうなっとる、と人がみなお言いるげな──と、その傷みの激しさを懸念していた生家である。
 「田舎の家がこけそうになったので見に行くけど、姉さんも一緒にお行きんか」或るとき、同じ東京に住んでいる弟(薫)から電話があった(『故郷の家』昭49・7「海」)。

 見に行って私は吃驚(びっくり)した・・・家の修復を頼むことにした・・・私はときどき東京へ帰り、また、韋駄天走りに岩国へ戻って来た・・・出来上がったとき、私は、「お母(かか)、見ておくれえ。これで、うちの家は、川西で一番ひどい家では、のうなったでよ」と、あの、家のことを気にかけながら死んで行った母に、言いかけたいような気持ちであった(『生きて行く私』)

 千代は生家の修復が成ったこの年、4月に勲三等瑞宝章を受章した。また11月には77歳の喜寿を迎えるのであり、三つの慶事が重なったのである。




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