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宇野千代の人生と文学





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宇野千代の人生と文学

■ 『幸福』

 いつでも一枝は風呂から上ると、ちょっとの間、鏡の前に立って、自分の裸の体を見る。タオルを当てて、少し腰をひねるように曲げて立っている。ぽっと赫らんだ肌をしている。「似てる」と思う。ボッチチェリのヴィナスの絵に似てると思うのだ。足もとに貝殻がないだけで、ポーズが似ている・・・しかし一枝は、自分の裸の体がヴィナスのようだと、しんから思う訳ではない。70歳をとうに越している体が、ヴィナスのようである筈がない。ひょっとしたら、少しは斑点があるかも知れないし、肉のおちているところもある。しかし一枝は眼がよく見えない。その上、湯気の中で視点が定まらない。一枝はそのことを幸福の一つに数える──。これが『幸福』の書き出しである。
 『幸福』は昭和45年、「新潮」4月号に掲載され、翌年5月、第10回女流文学賞を受賞した。その選考委員の一人である井上靖は──宇野さんの「幸福」を読んで、暫くぼんやりしていた。別段強い感動を受けたわけでも、烈しく心打たれたわけでもないが、ここにあるものはほんものだという気がして、ほんものだけから受ける醍醐味のようなものを味あわせて貰ったわけである・・・宇野さん以外の人には絶対に書けない、宇野さんの作品である。さすがだと言うほかはない・・・最後の結びなどはうまいものである・・・宇野さんの名篇に対して心から敬意をおくる次第である(『ほんものの強さ』)──と賛辞を贈った。
 『幸福』は──雪は止まない。もう二尺も積もつたらうか。すぐ家の横手に、ゆるい坂になつた道が見える。スキーと言ふものを知つてゐたら、恰好の場所なのに、と思ふのも愉しい。昨日からの雪で、その道には車のあともない。この家は四方とも同じ雑木の林に圍まれてゐるので、雪を支えた細かい木々の枝が、どこからでもレースのやうに見える。まだ日がさしてゐるのに、雪粉が舞ひ上る。風がでたのである──と結ばれている。




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