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宇野千代の人生と文学
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■ 桜のデザイン
千代は戦後に再発足したスタイル社から「きもの読本」を発行している。着物が好きだという千代は、戦後間もなくから着物のデザインに手を染めていたのであり、昭和24年(1949)には、《宇野千代きもの研究所》を設立した。
スタイル社が倒産したあと、その負債の返済には自らデザインした着物の売り上げが大きく預かった。──千代は私は小説家の癖に二股かけて、きもののデザインをしてゐるのではない・・・どちらも独立した、同じ尊い仕事だと思ひ、ただ、偶然に、きもののデザインが好きだから、思はずしてゐるだけのことである(『私はいつでも忙しい』昭59・10 中央公論社)──と言う。デザイナー宇野千代の評価は高まり、昭和32年5月にはアメリカでの万国博覧会に招待されて作品を出品し、大成功を納めた。
千代の着物のデザインは、桜をモチーフとしたものが多い。桜は春だけのもの、といった「約束事」に背いて、春夏秋冬の着物に桜をちりばめたのである。──私のデザインする着物の柄には、桜の花が多い。この柄が多くの人びとに喜ばれ、求められることはとてもうれしいことである。私は桜の花が好きなのである・・・桜は、私の故郷の花であった。私の心の花であったのである。心のひだに刻みこまれた桜の花の美しさが、桜の柄の着物を私に作らせたような気がするのである(『生きる幸福老いる幸福』平4・3 海竜社)──。
千代70歳の昭和42年(1967)に《株式会社宇野千代》を設立したが、蒲団、寝巻、ハンカチ、エプロン、風呂敷、傘、漆器、小豆島のオリーブオイル・素麺等々の「宇野千代ブランド」品は、今も根強い人気で支えられている。
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