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宇野千代の人生と文学
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■ 千代の「娘」淳っちゃん
千代が「淳(あ)っちゃん」と呼びかけ、誰よりも頼りにしていたのは元秘書の藤江淳子である。千代の生涯で藤江の名を欠かすわけにはいかない。藤江は昭和33年(1958)、北原武夫の縁で千代のもとへ来た。千代と北原が正式に離婚する数年前のことであり、千代が苦難の時期であった。藤江はそれ以後、千代の平成8年(1996)6月10日の死去まで実に40年に近い年月を、──自然に、殆ど四六時中、親と子が一緒にいるような格好で(『生きて行く私』)──千代の傍にいたのである。
千代は藤江のことを──私は本当の子供には恵まれなかったけれど、本当の子供以上ともいえる娘に恵まれました・・・秘書の淳っちゃんです(『人生学校』平6・二海竜社)──と言う。また、──私と言う人間は、彼女に百万べんの感謝の気持ちを持つべきではないだろうか、と或る日のこと考えて、大袈裟に言うと、涙がこぼれるような気持ちになった(『一ぺんに春風が吹いて来た』)──とも言うのだが、その藤江は──私が先生を守ってきたのではなくて先生から守られてきたのです(集英社文庫『私何だか死なないような気がするんですよ』解説)──と述懐するのだ。千代と藤江とは、形影相伴う存在だった。
藤江は宇野千代の葬儀で喪主を務め、現在、千代の衣鉢を継いで「宇野千代文学」や「宇野千代ブランド」を守り立てている。
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