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宇野千代の人生と文学
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■ 不朽の名作『おはん』
昭和22年(1947)12月、千代と北原が再興したスタイル社から文芸季刊誌「文體」の復刊第1号が発行された。このときの執筆陣を見ると、井伏鱒二、大岡昇平、河上徹太郎、河盛好蔵、北原武夫、久保田万太郎、小林秀雄、高浜虚子、高見順、真船豊ら錚々たる顔ぶれであったが、千代の『おはん』第1回がそれに並んだのである。
「文體」は24年7月の第4号で廃刊となった。25年に入って『おはん』は、舞台を移して「中央公論」の6月号から再掲載され、昭和32年5月号まで8回の分載で完結した。実に10年に及ぶ歳月を要したのであり、この時、千代60歳。千代にとって『おはん』の執筆に呻吟した期間は、実生活の上でも波乱に満ちた歳月であった。
『おはん』に取り組むきっかけは、千代が『人形師天狗屋久吉』の取材で昭和17年に徳島に滞在していた頃、ふと立ち寄った古道具屋の主人の話に触発されてのことである。
昭和32年6月に木村荘八の装幀・挿絵で中央公論社から刊行された『おはん』は、──全文学愛好家の渇望にこたえる、春琴抄、東綺譚につぐ昭和文学の名作(初版帯)──とうたわれ、奥野健男は──これほど文壇の玄人である諸家から待たれ、愛され、ほめられた作品はないであろう(新潮文庫「解説」)──と高く評価した。
千代は『おはん』によって第10回野間文芸賞(昭32)及び第9回女流文学者賞(昭33)を受賞した。昭和36年にはドナルド・キーンの英訳本がアメリカで、翌37年にはイギリスでも刊行されている。
32年7月の歌舞伎座で久保田万太郎脚色・演出により、中村歌右衛門のおはん、中村鴈治郎の加納屋で上演されたほか、11月の文楽座でも文楽「おはん」が上演された。また、53年1月には脚本・早坂暁、演出・河野宏、中村玉緒、津川雅彦、加賀まりこにより朝日テレビ系列で放映された。さらに、59年には市川崑監督、吉永小百合、石坂浩二、大原麗子により東宝から映画化された。
「だましてください最後まで/信じる私をぶたないで・・・・」の主題歌を五木ひろしが唄った。その後、平成4年11月・12月の芸術座公演で山本陽子がおはんを演じ、橋爪淳の加納屋、香山美子のおかよで好評を博した。山本にとって、その後も上演が相次いだおはんは当たり役となり、その演技で菊田一夫賞を受けた。
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