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宇野千代の人生と文学
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■ 二番目に好きだった男
千代が後年、彼女の夫たちの中で──二番目に好きだったのは東郷青児です──と言う青児との仲も長続きしなかった。青児は情死未遂事件の相手である西條盈子(みつこ)といつしか縒りを戻すのである。青児は『宇野千代全集・第三巻』の月報でこう述懐している。
彼女は私が制作に没頭してゐると、ぬき足さし足、足音を忍ばせて廊下を歩いた。私も彼女が机に向かつてゐる時は咳ばらいをするのもはばかつた。私は外国で大人の修業をしたやうなものだつたから、日本の行儀作法から和服の着かたまでみんな宇野さんに教わつたやうなものだし、絵の売れない絵描きの私は、当時翻訳をしたり雑文を書いてゐたので・・・私の文章を、簡素平明な大人の文章に直して呉れたのも宇野さんだつた。こんな理想的なカップルはめつたにない筈なのに数年で別れてしまつたのは、私の読みが浅く、宇野さんの稀に見る女らしさと濃やかな思ひやりが掴めなかつたことと、私が希代の浮気者だつたためである・・・男でも女でも、宇野さんのものを読んだら、幸せなんてものは、ごく身近にいくらでもころがつてゐると云うことに気がつく筈である
東郷青児は昭和9年5月、盈子と結婚した。二人の間に生まれた娘のたまみは、昭和32年7月23日、東京会館で催された千代の『おはん』出版記念会に父の青児とともに出席し、千代のためにピアノを弾いて祝った。
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