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宇野千代の人生と文学





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宇野千代の人生と文学

■ 東郷青児との出会い

 宇野千代は「報知新聞」に、昭和4年12月21日から翌5年5月22日まで150回にわたって、足立源一郎の挿画で新聞小説『罌粟はなぜ紅い』を連載した。千代は尾崎士郎との別居生活の中、昭和4年10月から12月にかけて、妹の勝子とともに神戸にいたのだが、大阪住まいの梶井基次郎とはその折に何度か会っている。小説の題名は、千代から相談を受けた梶井がつけたのだという。小説中にガス中毒の場面がある。千代はその写実をより深めようと、当時情死未遂事件で騒がれた東郷青児の許を訪れるのだが、そのまま同棲することになった。昭和5年のことであり、二人はその翌年、東京世田谷の借地に「コルビジェ風」の洋館を建てて新しい生活を始めたのである。
 昭和6年5月、千代の短編を集め、青児が装幀し挿絵を描いた豪華限定本『大人の絵本』が白水社から刊行された。




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