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宇野千代の人生と文学
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■ 梶井と尾崎の対決
昭和2年、尾崎が「新潮」9月号に発表した『河鹿』には、尾崎と千代を推測させる二人が別れ話をする場面が描かれているのである。また、同年12月19日から翌3年の6月23日まで「時事新報」に連載した尾崎の新聞小説『世紀の夜』を、千代は知らされていなかった。1回200円の原稿料は当時としては高額であり、尾崎は友人を引き連れて銀座のカフェーで豪遊する生活が始まっていた。馬込の家に寄りつかなくなった尾崎は『世紀の夜』を、あるときはカフェーの二階で、あるときは急行列車の中で、またあるときは公園のベンチで書きつづけたのである。
この頃、尾崎はカフェー「ライオン」で、のちの妻となる古賀清子と親密になった。
昭和3年1月10日頃、梶井は上京して馬込に来た。その折、尾崎が梶井の面上に火のついた煙草をたたきつけるという事件が起きた。その晩を境に千代と尾崎の家庭生活は実質的に崩壊したのであり、尾崎は清子を伴って各所を転々とする。千代と尾崎は昭和5年8月16日に正式離婚した。だが千代は後年、──いち番好きだったのは尾崎です──と言い、尾崎もまた千代に対する思いをこう綴る。
宇野千代と結婚した私は、今までの長い放浪生活を切りあげて、創作に没頭することのできる生活に入った。彼女は作家としてすぐれた禀質にめぐまれてもいたが、同時に家庭の主婦であり妻としては誠実な上に献身的な女であった。私の作家生活に基礎的な土台をつくりあげたものは彼女であるといってもいい・・・私に文学眼をひらいてくれたものは宇野千代女史であった・・・何の自信もなく、ずるずると無為の感情の中を彷徨していた私の心眼に一点の光を投じてくれたものは彼女である。それだけは、この機会にハッキリ断言しておきたい(『小説四十六年』 昭39・5月・講談社)
尾崎と清子の間に長女の「一枝」が生まれたのは昭和8年4月のことである。千代の小説『幸福』(昭45)、『野火』(昭46)、『或る一人の女の話』(昭46)などの主人公の名前が「一枝」。これは尾崎に対する千代の敬慕の情の、ひとつの現れだったのではないだろうか。
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