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宇野千代の人生と文学
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■ 馬込文士村
馬込村で千代は、尾崎士郎を取り巻く川端康成、榊山潤、萩原朔太郎、廣津和郎、牧野信一、間宮茂輔、三好達治、室生犀星といった多くの文士との交友があった。この頃、廣津和郎に手解きして貰った「麻雀」は、千代の生涯を通じての愉しみとなった。千代の断髪が萩原朔太郎の妻稲子の駆け落ち事件を起こした。
若い女が髪を短く切つて断髪にすることが流行し始めてゐた・・・私は勇気を振ひ起して髪を切つた・・・「わああ、大変だ。宇野千代が髪を切つて、七歳も若く見えるやうになつた」と言つて、馬込中が大騒ぎになつた。すると気の好い萩原稲子が、忽ち私の真似をして髪を切つた。川端康成の妻も髪を切つた。一大異変が起つたのであつた・・・萩原稲子は自分よりはうんと歳下の、まだ18歳にしかならない若い学生と恋に落ちて、一緒に駆落ちした(『しあはせな話』 昭62・五中央公論社)
川端は当時の馬込を──細君連中が相次いで斷髪し、ダンスが流行し、戀愛事件が頻出し、大森の文士連中のまはりはなんだか熱病に浮かされたやうであつた。とにかく賑やかで面白かつた。私までが宇野千代氏と方々歩いたので、戀人と誤解した人もあつたらしい(『文学的自叙伝』)──と書いている。
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