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宇野千代の人生と文学
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■ 新港でのひととき
大正15年・昭和元年(1926)、宇野千代と尾崎士郎は岩国の新港でひとときを過ごした。
尾崎と一緒に私の田舎へ出掛けて行ったのは、或る年の夏であった。祖母が口を利いてくれて、私たちは新港の山の上にある、小さな一軒の家を借り、一夏、そこで仕事をした。物好きな人の建てた別荘と言うことであったが、山の上から見る瀬戸内海の風景は格別であった。新港。ここは私が一度となく、故郷を捨てて出奔した、その港であった。ぽう、ぽう、といまも汽笛が鳴る。その音もあの昔と全く同じであるのに、何と長閑(のどか)に聞こえることか。人間の感じることはそのときどきの状況によって、こんなにも変わるものか。ここに私たちのいる間に、母も弟妹たちもたびたびやって来た。「何ちゅう尾崎さんはええお人じゃろう」と言って、母が嘆声をあげた(『生きて行く私』)
新港での時期について千代は「この年の夏」と言い、『宇野千代全集』での大塚豊子編の年譜では「3月より9月にかけて、尾崎士郎とともに、千代の郷里、山口県新港に滞在」とし、尾崎の年譜でも「3月より9月まで山口県新港に滞在す」とあるのだが、尾崎が伊豆湯ケ島に逗留中の川端康成に宛てた何通かの書信がある。
大正15年1月21日付──発信地記載なし「女房郷里へ帰つてゐます」
大正15年1月29日付──山口縣玖珂郡麻里布村字新港櫻田別荘内竹林痩閑より「廿七日朝此處へまゐりました」
これを見ると、尾崎は1月の末には新港に滞在していたことになる。
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