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宇野千代の人生と文学
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■ 尾崎士郎との出会い
千代は岩国を早々に離れ、北海道を目指したのだが、札幌の夫の許へ帰ることは遂になかった。尾崎士郎との出会いが千代を東京に留めたのである。
二日ののち私は、札幌までの通し切符を買って、岩国を出発したのであった。東京で、北海道行きの汽車に乗り替えるとき、ちょっとの間、時間があった・・・もう一度中央公論社に寄って・・・滝田樗陰に丁寧に礼を言い、もしそんな話が出来るようなら、次の仕事の打ち合わせもしたい、私はそう思った・・・先客が二人あった。「これは奇遇だ」と言って、その一人が立ち上がった。それは・・・評論家の室伏高信であった。「宇野さん、この男は時事新報の懸賞小説で二等になった尾崎士郎ですよ」と、もう一人の若い男を指して、言うではないか・・・「とにかく、君のホテルまで行って乾杯しようや」。室伏高信のこの言葉に従って、三人は一緒に、中央公論社を出たのであった・・・北海道へ帰る時間は、もうとうに過ぎていた(『生きて行く私』)
千代と尾崎士郎は、大森新井宿の下宿屋など大森近郊を転々としたあと、東京府荏原郡馬込町1578番地に居を構えた。大正12年5月のことである。
馬込での最初の家は、百姓家の不要になった納屋を大根畑へ引いて来たもの。二、三年経って、隣地の丘に10坪ほどの赤い洋館を建てた。尾崎を慕って集まる客は多く、文学談義にふけりつつ酒が入ると唄になる。千代はそれを聞きながら嫌な顔ひとつ見せずに酒食のもてなしに励んだのである。吉屋信子が洋館を見て、金ピカのベッドを千代に贈ったという。
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