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宇野千代のこと
■ 宇野千代年譜

宇野千代の人生と文学





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宇野千代の人生と文学

■ 初恋・失恋

 宇野千代は大正3年(1914)3月、岩国高等女学校本科(四年制)を卒業したあと、川下村尋常小学校に準訓導(代用教員)として月給8円で採用された。この頃千代は、菊池寛一、鑓田研一ら同人7名で回覧雑誌「海鳥」を出している。
 教員生活最初の夏休みに、千代は化粧をすることを覚えた。
 翌年、一人の新しい教員が小学校に赴任して来た。「剃り痕の塗ったように蒼い男」である。彼に恋した千代は授業中の生徒に彼当てのラブレターを届けさせるような大胆なこともする。町中の評判となり、やがて問題にならないはずはない。
 或る日のことであった。私は学校へ出るとすぐ、校長室へ呼ばれた。「まことにお気の毒なことじゃが、ああたは、今学期一ぱいで、この学校をやめて貰わんけりゃならんことになりましてのう。郡役所からの命令で、どうにもならんのですわい」(『生きて行く私』)──と宣告され、諭旨(ゆし)免職になった。
 千代は人の噂を避けて朝鮮へ渡った。当時、京城(ソウル)で教鞭をとっていた女学校時代の女教師を頼ったのである。千代は「自作年譜」に──大正四年秋、川下村小学校退職後、朝鮮京城に渡る。これより若き日の放浪始まる(『現代日本文学全集第45巻』昭29・2筑摩書房)──と記している。
 やがて彼からの「絶縁」を示す手紙を受けて帰岩するのだが、決定的な別れが待っていた。岩国へ着いた千代はその足で、錦川沿いの夜道を「安珍を追う清姫」さながら、男の転任先である山奥の小学校へひた走った。だが、千代に対する彼の態度は、全く冷たかった。千代の初恋は、失恋で終わったのである。




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