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宇野千代の人生と文学
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■ 学校時代
明治37年(1940)2月の国交断絶によって、帝政ロシアとの間に朝鮮・満洲の制覇を争っての日露戦争が勃発した。千代が小学校に入学したのはその年のことである。
子供の頃はそのころの町の風潮をそのままうけて、女であるけれども戦争に行きたいと思い、ナイチンゲールのような優しい看護婦かジャンヌ・ダルクのような勇敢な女士官になりたいと思った。学校の唱歌はみんな軍歌であった。「道は六百八十里、 長門の浦を船出して」とか「雪の進軍氷を踏んで」とか・・・いま思うとあの口語体の軍歌が私の一番はじめの文学書なのであった。
(『文学的自叙伝』=のち『模倣の天才』と改題)
千代は明治43年3月、岩国尋常小学校を学業全甲で卒業し、同年4月、玖珂郡立岩国高等女学校(現・岩国高等学校)に進んだ。女学校に残っている第四学年の学籍簿を見ると、一・二・三学期の全15教科の平均点は92点を超え、成績抜群であった。女学校時代の「校友会雑誌」に千代の作文「秋の山に遊ぶ」、「秋の夕」、「櫻」、「雨來らむとす」が掲載されているが、いずれも千代の文才をうかがわせるものである。
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