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宇野千代の人生と文学
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■ 千代誕生
宇野千代は明治30年(1897)11月28日、山口県玖珂郡横山村三二九番屋敷(のち玖珂郡岩国町大字川西877番地から現・岩国市川西町2丁目9番35号)で生まれた。
父は宇野俊次(42)、母は土井トモ(24)、父母の姓は違っているが、私は彼等の私生児ではない。私が早く生まれたので、入籍の手続きを怠っただけである。土井トモは私を生んで、一年半しか生きてはいなかった。
母が死んでからしばらくの間、私は高森と言うところにあった父の生家へ預けられた・・・父の生家は父祖代々の造り酒屋で、近在に聞こえた分限(ぶげん)者であった。 (『生きて行く私』昭58・8毎日新聞社)。
俊次は安政2年(1855)7月29日、宇野茂吉、シンの子として玖珂郡高森村(現・玖珂郡周東町下久原中市)で生まれた。政介を長男とする七人兄弟(弟三人妹二人)の次男である。 生母トモは明治32年7月13日、肺結核で死去した。その翌年の33年5月に俊次は佐伯リュウと再婚したのだが、このとき俊次45歳、リュウ17歳である。リュウは順一郎、ミヱの四女として玖珂郡川下村第八八七番屋敷で生まれた。
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