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エッセイ

瀬戸内寂聴さんの『宇野さんの岩国』(古川豊子・著)

 このたび縁あって、作家の瀬戸内寂聴さんが台風14号の被害を案じて、京都新聞に『宇野さんの岩国』と題して書かれているのを読んだ。
 寂聴さんは台風14号が宇野さんのふるさと岩国に大きな被害をもたらしたことを、まるで自分の故郷でもあるかのように胸が痛いほど案じている、とあった。
 また『あのおだやかな風光に包まれていた岩国の山肌が崩れ落ちた見るも無残な様相を新聞やテレビで見ると恐ろしさに慄然としてしまう』とあり、さらに『岩国は県の誇りでもあり、表看板にあたる錦帯橋の橋を越す激流に襲われ、橋げたが二つも流れ去ったという。宇野さんの生家は大丈夫だったろうか』。
 このように瀬戸内寂聴さんが案じて下さる台風14号は、その日錦帯橋周辺を襲い、激しい雨に濁流がなだれ込み、家々に大きな被害をもたらした。
 錦帯橋からほど遠くない私の家でも広報車の避難の呼びかけに焦りと不安を掻き立てられながら、おにぎりや離されない薬など整えていたが、テレビに映し出される錦川の氾濫と、水に浸かった家々の様相に、私の胸中は川西の宇野千代生家へ走っていた。
 川西の宇野千代生家の300坪のもみじの茂る庭は水に浸かった。庭一面を泥水が覆い、庭の中ほどに安置されている佛頭を突き出して、どっぷりと浸かった。
 宇野千代のふるさと岩国を案じて下さる瀬戸内寂聴さんは、これまで岩国へは何度もお見えになり、錦帯橋や宇野千代生家を訪ねられている。
 さきおととしも川西の生家を訪れた寂聴さんは、生家の玄関を入るなり、「宇野さん、来ましたよ」と言い、急いで奥座敷へ上がり、庭に面した縁側に立つと辺りを見回して、
 「ああ懐かしいわ、もう何年前になるかしら。あの向こうの垣根あたりにあった柿をもいで、宇野さんに届けて驚かせたのよ」
 目を細めていかにも得意そうに言われる寂聴さんは、まるで子供のような表情でそこに居合わす人たちに話された。この事は今でも寂聴さんの逸話の一つになっているのかと、そのとき胸が熱くなる思いがした。
 「はい、その柿の木は毎年実をつけております」
 そう答える私の顔をじっと見ておられた寂聴さんは、
 「あなたね、あの時からずっとこの家を守っていてくださっているのね」
 はい、と頷く私に、
 「もうあれから20年経つのよ。庭のもみじがこんなに大きくなって。それに苔がずい分とりっぱに育って。宇野さんがどんなに喜んでいらっしゃるか、ありがとう」
 細い目をさらに細め、笑いをうかべて頭をさげてくださる寂聴さんのその目に涙が光るのを見た。
 「これからもどうぞ宇野さんのために生家を守ってあげてくださいね。また来ますよ」
 そう言って私の手をしっかりと握られた。その手は驚くほど柔らかくて小さく、まるで宇野千代先生の手の柔らかさであり、温もりであった。久し振りに先生にお逢い出来たような不思議な思いにかられた。
 「この生家はどんな事があっても私の手で守り抜きたい」。その時そう決心したのも事実である。

 台風14号で生家は床下で済んだものの、その周辺の家々は大変な被害を受けた。
 濁水の引いたあと、宇野先生が大事にされていた庭一面にひろがる緑のスギ苔はすっかり汚れて白くなった。
 台風で折れた枝や引きちぎれたもみじの葉を取り除き、連日スギ苔の泥水を洗い流した。
 いま驚くほど苔のもつ緑を取り戻し、もみじに映える秋の風情を整えてきたが、床下に入った水が乾き切るまでには時間がかかりそうだ。
 生家の庭の隅に植えられている、つわ蕗の葉が洗い切れなかった泥で葉を白くしたまま黄色い花を咲かせている。
 また寂聴さんの逸話ともなっている柿は台風に振り落とされたが、残った幾つかが大きな実となり色づいてきた。
 瀬戸内寂聴さんの『宇野さんのふるさと岩国』は、台風14号の傷痕を深く残して、やがて季節が移り変わろうとしている。




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